週変わりのシュウ

痒いところは日々変わる

9月22日(日)疲労回復 盛りもりライヴ

昨日リハやったのの本番。

広島市は中区 通称「じぞう通り」、旧かげい商店ビル1階。
昨日初めて会場に来た時には、もぅ長らく使われてなかった事によるカビ臭さと、無造作に積み上げられてゐる荷物に、「どぅなるんかいな?」と思ったものだが、姫石ミミの所の有能な生徒たちのおかげで、なんかオサレなイベント会場になった。

ライヴは幾つかのセクションに分かれ、生徒たちの歌、ミミの歌、しーシュの歌、と順繰りに展開し、合間合間に食事タイムがあり、かき氷やおつまみの屋台(?)も出て、若い娘らの存在もあってなんか「文化祭」のやうなかんぢで、ナゴむ会場である。あ、これMCで云へば良かったな(笑)。

ワシらしーシュは 自分らのステージも演ったが、他の全部の出し物の音楽も担当。電子ピヤノとベースだけで、色んなジャンルのバックを彩る。みな二十歳ソコソコの生徒たちであったが、全員が古き良き「昭和歌謡」にチャレンヂしてをり、それぞれよぅ頑張っておった。頑張りに応えるためにも、バック演奏でも割と手加減抜きで切り込んだが、動じる事なく歌い切る姿は見事であった。

編成が少ないぶん、こないだ演った「カメレオン・コンサート」よりカヴァーするパートが多く、いや〜まぁよぅ弾いたよ、といふ壱日となった。くたびれたが、楽しいイベントだった。

「部外者としてこのコたちになにか一言」と云はれたのだが、まぁさほど諭す事はなく、ただ、良き歌を聴き、良き音楽を学び、良き人生を、のやうなことをもそもそ喋った。

9月23日(月/祝)

昨日は終演後(演奏中も)飲むだけ飲んでゐたので、会場はざっと片付けただけで、荷物は置いて帰った。のを取りに行く。

しーシュ、自分らでPAを設営してライヴす、といふのにもぅだいぶ慣れた感があるな。昨日の「よくできました」は、会場BGMが用意してなかった事が発覚し、ありゃりゃ、と皆が思ってゐたところ、ワシのルーパーに、なんかギターで作りかけのパタンがメモリィしてあるのを見つけ、それをづっと流してゐた。たまたま始まりも終わりも曖昧な楽曲だったので、延々ループされてゐる事にはたれも気づかず、むしろ邪魔にならぬ大変よいBGMであった。

かういふ風に、期せずして良い仕事ができた(狙うとできない)、といふのがワシの人生には多々ある。あり過ぎる。

9月24日(火)

昼間、久しぶりに時間ができたので、今度の 安芸楽団で歌う曲をすこしアナライズす。

安芸楽団で歌うのは、民謡をアレンジしたものがほとんど。本来単旋律で歌われるものを、云はば無理やりコード・プログレッションにしたもの。

しかしまァ、民謡の歌詞って見事に「なんかを説明したもの」でしかない、てのが、わりと世界的に同じで、オモロいなぁ、と思ふ。アラブの方の民謡に「ヤーベイ」といふのがあるが、これがえらい物悲しい旋律で、なにを歌ってるのか?と思って調べると、延々と自分の父親の事を語ってゐるだけだったりする。

『こきりこの丈は 七寸五分ぢゃ』と云はれても、『さうですね』としか云ひようがなく、まァ、そここそが「民謡」の民謡たる所以か?
しらんけど。

9月25日(水)

大阪は関目のTちゃん(♂)から、古本の「レコードコレクターズ」を買った。これが「20世紀のベスト・ベーシスト・ドラマー特集」といふやつで、様々な角度の識者が『彼こそベスト』といふ人を挙げてゐる。

この断トツトップに、やはりポール・マッカートニィ公が選ばれてゐる。
まァ異議はない結果ではないか、と思ふ。ワシも最近改めてビートルズを聴き込んでゐるが、やはり公のベースは当時すでに革新的だし、十分にテクニカルだ。ベースの演奏そのものに拘ってなささうなところも良い。
事実、ピヤノもギターもドラムスも上手く、公式にも「世界一著名なマルチプレーヤー」とも称されてゐる。

以前、先輩のギタリストに『ポール公は「ベーシスト」として実際のところどうなのか?』と問はれた事がある。ビートルズのメンバーとして、とか、ベースラインづくりのうまさ、とか、ヒットメイカーとしての作曲家として、とか、ギネスに載る現役ロッカーとして、とか、さういふのは脇に置いて『ベーシスト』として、ベーシストのお前はポールをどぅ思ふ?、と・・・。

ワシは熟考の末、「ヘフナーとリッケン、この『対局』とも云へるやうな個性的なベースを、あんまり深く考へてもなささうに使い分け、しかも出てくる音があんまり変わらん、といふ点でも、すでにスゴいベーシストだと思ふ」と答えた。

先輩は深く納得してくれよった。

9月26日(木)

数年前の9月には、なんと19本ライヴを入れた、といふ記録が残ってゐた。そして「まだ足りぬ」と感想を残してゐる。

それから比ぶれば、今年はほんまにライヴの少ない壱年となりさうだ。レギュラーで演ってた仕事がなくなった、といふ事もあるが、やはり本数そのものが減ってゐる。
「ライヴで活くる」を信条とし、年間100本越えを目指し、2010年以降それを実現してきたが、この調子では今年は久しぶりに年間ライヴ数100を切りさうなかんぢだな。ん〜〜〜〜〜・・・。

9月27日(金)「大人の金曜日」パセ〜ラ広島

基町クレド、パセ〜ラ広島「翼の広場」で行われてゐる「大人の金曜日」といふイベントに、去年の3月以来の出演。その時はなんか滅茶苦茶に寒い日で、ダウン着たまま手袋して演った憶えがある。
今回はえぇ季節でえぇかんぢで・・と思ってゐたら、けふに限って何やらえらいこと蒸し暑い壱日だった。

「お酒と音楽」をテーマにシーズンごとに趣旨を分け、あれ以降も継続してゐる「大人の金曜日」。意外、と云っては失礼だが、意外にも息の長いイベントとなってゐる。開場すぐにわらわらとお客さんが集まって来て、ワシらを見に来た人と、「〜金曜日』を楽しみに来た人と半々ぐらいで、少なくない席が埋まる。いいぢゃないスか・・。

前回と同じく、カヴァーとオリジナルを半々、みたいなかんぢで演奏。結構盛んな拍手と歓声が起こり、ラストにはアンコールも来た。フラと立ち寄りやすい場なこともあって、日頃あまりライヴの場に来ない人も来てくれてゐた。懐かしい再会もあったやうで、嬉しいしーシュ。

二人とも絶妙に体調が悪かったのだが、演奏や歌には支障なく・・・。
ただ、リハが不足してゐるのと、あと、オリエンタルホテルでの月イチ営業がなくなったぢゃないスか?。それで いわゆる「演奏する勘」みたいなものが鈍くなってゐる、といふ気はした。

今後はオリジナルを構築するリハは勿論だが、カヴァーをブラッシュアップするリハも演って行かねばならんね、と合議す。