週変わりのシュウ
1月11日〜18日
胸の痛み〜〜🎵
移動する身体
1月11日(土)
親愛なる安芸高田市 高宮から、「新年会」へのお誘いがきた。
のに出かける。しーなさんは仕事で欠席。ワシひとり車を転がしての遠征。
あまり詳しく知らんままに行ってみると、高宮ゆかりの「ミュージシャンの」新年会、ださうで、イベントやらで顔を合わせた出演者たちが揃ってゐる。食事や酒の給仕には、我らとも近しい高宮スタッフの皆さんが働いてをり、この人たちとも年始の挨拶となり、良かった。
やがてライヴが始まり、誰彼なしにステージに上がり、えぇかんぢに会が盛り上がる。みんなそれぞれ昼間は農業や畜産、他の色々な職に就いてゐる人々だ。ここに加えてもらってゐる事を、本当に感謝したい。
なんとなくそんな気もしてゐたので、ワシもギターを持って行っておった。で、『シュウさんシメてくれ』と云はれたので、トリで出演。いくつか歌わせて頂いた。その後はてんでにセッション、となり、「演りたがりシュウ」としてはづっとギター弾いたりベース弾いたり歌ったり(笑)。
いやぢつに楽しき宴であった。車中泊するつもりで準備してゐたが、宿も取ってくれてゐて、本当に感謝。皆さん、ありがとう。今年もよろしくです。
1月12日(日)
高宮の宿を出て、色々近隣を散策してから帰る。けふは旧正月ださうで、田舎らしくあちこちで「とんど焼き」が行われてゐた。他の辻々はもぅ人っけもなく静まり返ってゐて、無人駅の風情など素晴らしい。
夜は、カワちゃん企画ライヴ「旅する旋律」があるのを見に行く。久しぶりの加古町はOTIS。思へば2011年3月11日、あの東日本大震災のあったあの日、カワちゃんとしーなさんによるデュオ 天晴さん、と、当時ワシの演ってゐたバラフォン洋子ちゃんとのデュオ ゆるゆるアフリカノスがここで対バンとして演ってゐたのだった。飛び交う震災の速報の中、誰も来ないライヴ会場を、我らは粛々と守り、すべき事を成した。あれがぱんぱかトリオのはじまり、ではなかったか?。
カワちゃんのソロ・ステージを見るのは久しぶり。一緒に演ってゐる仲間の視点からすると、ソロの時は「いつもと違うカワちゃん」を見たい、といふ我儘が生じる。が、まァカワちゃんにとってはカワちゃんの歌である限り、デュオでもトリオでも軸はソロのカワちゃんなので、いつものカワちゃんであった(笑)。そりゃそーだ。
ワシがぢっと見てゐるのには、さぞや演り辛かっただらうな。すまん。
だが、けふはカワちゃん、OTISマスター佐伯さんと演ってゐる本格アラブ音楽ユニットでも出演してゐて、ここで担当してゐる各種アラブ系パーカッションが見事なのには驚く。ワシは常々カワちゃんの「ぢつは結構高い音楽性」に着目してゐて、わりとけふはそれを改めて確信した!といふかんぢ。ぱんぱかトリオのヴァリエーションとして、これを活かさぬテはないのではないか?と思ったりした。
良いライヴだった。
1月13日(月/祝)しーシュ飛騨〜三河遠征:初日
2020年の旅はじまる。
今年最初の旅はこの時期おなじみの飛騨古川へ。これまでは「他のどこかを回ったのちの古川」がほとんどだったが、今年は一足飛びで古川を目指す軽バンでの旅。
朝の8時に広島を出発し、まぁ飯食ったり昼寝したりしながら、9時間かけて飛騨へ。よく走る我がツアー車「ぐっち」である。雪対策にほぼ新品のスタットレス・タイヤーに履き替えたものの、今年は我らが知る限りでも「もっとも雪のない飛騨」であり、現地の人も『雪はイヤだがさすがにこれは心配になる』と云ふほど。
古川の御大、カツカツ兄貴こと川端克彦さんとこに身を寄せると早速『けふはJag-G(カツカツさんの率いる7人編成ジャグバンド)のバンド練習に来い』と。
行ってみるとバン練とは名目だけの宴会が準備されてゐて、馴染みとなった古川の仲間たちと焼肉つつきながら酒を交わす夜となった。
ワシらはこの事を知らなんだが、メンバーはみんな「けふはしーシュがバン練に来る」と知らされてゐたやうで、欠席を予定してゐたメンバーまで駆けつけてくれるといふ喜び。嬉しいなぁホンマに。
みんな、ありがとう。
1月14日(火)飛騨古川リトルビレッジjr
さすがに9時間車を走らせた後でいきなりライヴ、では死んでしまふので、「前入り」にしたのだが、けふはライヴ本番。しかも古川でのこれまでのライヴは、例えば広島産の牡蠣だったり、お好み焼きだったり、地酒だったり、でお客さんを集め、さらには富山のパーカッション、ヤマダベンちゃんに手伝ってもらったり、して成立させてゐた訳だが、今回はじめて「しーシュのライヴ」といふことでの純粋なライヴ。
どーなることやら、と思ってゐたが、だいぶ客足が遅かったとは云へ、最終的には席もほぼ埋まり、お祭り好きの古川のお客さんも、ウチらの地味な曲を楽しんでくれた。店長の川端敬太(カツカツさんの息子)も『結局しーシュってちゃーんと地道に客増やしてるよね!』と称賛。
ワシらとしても良いライヴができて安堵。平日に集まってくれたお客さんに心から感謝!。
ぢつはワシ、ゆんべ遅くに道で滑って転び 脇腹を強打してをり、これがど〜やら軽く肋骨にヒビが入ってる風、に痛み続けてをり、息が吸えんでどーしたものか、と思ってゐたのだが、本番始まると痛みは消え、歌に没頭できたのだった。よかったよかった。
打ち上げは店でほどほど飲んだ後、敬太の家に移動してさらに。次男の洋介も来てくれ、ドラマーでもある彼はしーシュのリズムに興味津々。彼らの言葉の端端に親や兄弟への愛を感じ、あぁこの家族ってホンマにいいなぁ、と・・。
1月15日(水)三寺参り
なぜ、雪中行軍の危険を冒してまでこの時期の古川に来るやうになったか、と云へば、この祭りに参加して、この町との繋がりを深めたかったから、といふのもある。
200年の歴史を持つ 飛騨古川三寺参りにしーシュで参加するのも3回目。先述したやうに、歴代稀に見る雪のない1月ださうで、寒くないのはありがたいが、雪の降る中を和装の人々が・・・といふ風情がないのはやはり残念。
暦の関係で完全に平日と重なってしまったこともあり、我らが参加した中でも最も人も少ない三寺参りの夜であった。まぁ、ワシらは呑気な旅人として、お参りしたり、知人の店に挨拶に行ったり・・・。
古川に来ると、だいたい顔を出す店は3ツくらいあって、そのどれかには必ず友人の誰かがゐる。今回もさうで、ラーメン食べに寄った店に誰それがおり、隣の店では誰それが飲んでる、みたいなかんぢで、とても良い。
1月16日(木)名古屋 池下Little village
ところで胸の痛みはまだ続いてをり、これはやはり本格的にアバラがイってるかもな・・と。しかしまぁアバラの骨折は経験からも『処置のバリエーション』はなく、ただ安静にし、痛み止めを飲み、自然に治癒するのを待つべし、と。今回もさうする。
さて、三日間すっかりお世話になった古川を辞し、けふは名古屋へ。
結局、三日間とも雪はほとんど心配の範疇に入らず、スタットレスも活躍の場ナシ。まぁそれで良いのだが・・・。
さて、もぅ20年近い付き合いとなった名古屋の御大、谷口幸至朗さんの新しい店。ワシは去年の夏に一回ソロで来て演ってゐるが、しーなさんは初。車旅なので電子ピヤノを運ぶ手はあったのだが、今回はあえて持ち込まず、「鍵盤レス」ではなくMissing piano version(同じやないか、との声も覚悟で)としてのしーシュをここで演らむ。
色々趣向を凝らし、アレコレ。ワシは半分ほどでギターを。しーなさんは鍵ハモと各種パーカス。
しーなさん『カホンも叩こうか?』と云ってくれるが、そのミニスカでカホンでは(カホンは基本、開脚で演奏)そはいかに云ふてもサーヴィスし過ぎやろ?と却下。
げに、しーなさんがタイコを叩く、といふ選択肢も設ければ、YEMEN BLUES DUOみたいなアグレッシヴなヴァージョンもできるな、とも。
お客さんもいっぱいで、良きライヴとなった。
しーシュとしては決して「新しいスタイル」といふ訳ではないが、ひとつの指針として、また可能性も拡げれた、とは思ふ。幸至朗さんからも『お前ら、変わらずによく演ってるな、カッコいいぞ』と云ってもらへ、ますますこの道を進まん、と。
お集まりのお客さんにも、心から感謝。また、ここへ!。
1月17日(金)帰広
アバラは相変わらず痛むが、睡眠薬を飲んで寝るのでいちをう熟睡はできてゐる。
けふは名古屋〜広島の長い車旅。まぁ、古川や豊川、焼津のことを考へれば・・・。てなかんぢにまでなった。
高速に乗ってからは、もぅひたすらに道、道、道・・・。
昼を超え、午後が進み、夕暮れがきて、夜になり・・。その間、やはり飯食ったり昼寝したりして、8時間で広島へ。
しーなさん宅で荷物を降ろし、車内を片付け、「おつかれ!」と別れた後、立ち寄ったスーパーでまた再会(笑)。「アラ奥さん!」「あらま!」みたいな・・・。
ただいま。
1月18日(土)
胸の痛みやや軽減。が油断すると痛む。腰痛ベルトを胸に巻いて対処するも、これがなかなか息苦しい。仰向けに寝ると痛い。ぬ〜〜〜。
けふは来週誕生日を迎える女房の、しかし来週はまた旅に出てゐて広島不在のワシが、前倒しでお祝いする為、のささやかな祝宴を設ける。こないだぱんぱかトリオの新年会でもお世話になったヴァンダンジュ。
世間の50代夫婦の経済的デフォルトがどのやうなものか全く知れぬまま、けふに至る。3月には初の銀婚式を迎える我ら。ただただ、健やかであれ、と願うばかり。
なんか流れで、ここヴァンダンジュでは初となる、ワシのソロのライヴを演らせてもらふことになった。動き続けやう。