週変わりのシュウ

そんな先のことは分からない

影の足音

3月28日(土)

ラヂヲから流れて来たカテリーナ・ルドコヴァといふアーティストの音に、耳を奪われた。傍らにゐた女房もフと手を止めて聞き入ったほどのインパクト。澄んだ男女の歌声が、一つのコード進行に対して、全く違うアプローチでメロディを取り、それらが干渉し合わぬまま展開する。これは、全く新しいポップス音楽へのアプローチではないか?と。

このカテリーナ嬢、ベラルーシ生まれのポルトガル在住、との事で、情報は割とあるものの、全部読解不能な言語で書かれてゐて詳細が分からぬ。唯一Music terraのみが日本語の情報を伝えてくれてゐる。

iTunesに音源があったので、早速購入。「口ずさめるメロディ」などどこにもないが(笑)、これは久々に出会う「当たり」であった。

 

3月29日(日)

コロナ騒動急展開。
コメディアンの志村けん氏が新型肺炎で逝去、の知らせ。

我が同時代を生き、エンターテイメントの世界を牽引してゐた著名人が流行病に倒れた、といふ事は、やはりちょいとこれまでのモノと違うぞ、といふ意識を抱かせる。やはりこれは「それほどの事象」なのだ、と。

「健康な若者は軽症で済むケース大」との認識があるやうだが、この「軽症」といふ概念が、一般人と医療常識の間で大きな隔たりがあることを知るべきだ。
我々一般人が思ふ「軽症」とは、まぁせいぜい熱が出てフラフラする程度、と認識されるが、ぢつは我々が『救急車を呼ぶか?』と懸念するまでの状態が「軽症」なのださう。

「重症」とはもはや緊急措置が必要なものを指し、「軽症」なら楽勝、と思ってゐるとたいへんな事になる、といふことだ。我が認識も改めて・・・。

3月30日(月)

コロナが世界を席巻しつつある。
海外在住の友人知人らの警鐘(実情)から比ぶるに、我が国はあまりに悠長な気もするが、実感が湧かぬのは確か。なにを恐れなにに注意しなにを実行すれば良いのか、本当のところ誰も分かってゐない、といふのが・・。

同胞のツアーミュージシャンらも、続々とツアーの継続を断念し始めてゐる。
ワシらもどうすれば良いのか、考える。考えねば。

志村けん氏の死去により、世情がどのやうに変わるか、であったが、相変わらず街には若者が溢れ、定食屋は地獄の忙しさ。

分からぬ。

3月31日(火)

混乱の中、しーシュのリハ。

我が友の旅ミュージシャンの続々のツアー中止を見て心痛めてはゐるが、いよいよ我らも考えを新たにする時かもしれぬ、と。
決して蛮勇で行なってゐる訳でもない我らの活動だが、もはや個人の主義や矜持で語る段階は過ぎたやうに思へて来た。

全ての人の平安のため、何より我ら自身の平安のため、ここは涙を飲むべきではないか、と思ひ始めてゐる。

主よ、導きたまえ。