週変わりのシュウ

やさしき伴侶をば

7月18日(土)ーーーーーーーーー

ライヴ明けてほっこり。

異常に眠く、朝飯の後 少し寝る。起きた後もなんやボ〜としてゐて、楽器の練習する気もせず、また台所で昼寝す。夕方前に起き出して、少し体を動かせば・・・と散歩に出るが眠くて引き返す。晩飯食ったらまたうたた寝。風呂に入っててもウトウト・・・。こんなに寝たら夜寝れんのでは?と懸念せしも、布団に入ったらすぐに昏睡。

寝た壱日であった。

7月19日(日)セイントルイズ配信ライヴフェスーーーーーーーーー

雨。
しーシュの作品をづっと依頼してゐるセイントルイズ・スタヂヲが、こたび市の芸術家救済助成なんぢゃらを得て、懇意のミュージシャンのライヴをスタヂヲから配信す、といふ企画に出演。

色々とあって「ソロ」を主体にしてほしい、と云はれ、ほか出演者もそのやうにしてゐたが、しーシュはもともとさういふデュオなので、日頃演ってるライヴをそのまま演った、といふかんぢだった。一昨日の配信から三日も経ってないので、そこもなるべくカブらぬやうに曲構成した。
んで、まぁ、おかげさまで、けふの出演者の中では特に「配信なれ」した風情もあり、さらにさすがのセイントルイズ。音のクゥオリティも世界発信レベルであり、ウチとしてはこの短期間に二回もそのクゥオリティの配信ができたことに感謝。

色々と対策を取った上での進行も素晴らしく、この日のために動いてくれた多くのスタッフの皆さんに労いを。どうもありがとう。

 

 

 

7月20日(月)ーーーーーーーーー

曇り。蒸し暑い。

コロナ騒動が始まって、毎朝「検温」をするやうになったが、これが細工でもしてゐるかのやうに毎朝ピタリ同じ36.5 ℃である。まぁ「まじない」のやうではあり、これが平熱のうちは大丈夫なのではないか?と・・。

だが一昨日のやうに異常に眠かったり、蒸し暑さのあまり異常にダルくなったりすんば、やはりナニか神経質に疑いを持ってしまふのが辛い。水を飲もう。

7月21日(火)ーーーーーーーーー

曇り。暑い。

レッスンを再開した楽器店に、珍しく2名様の体験レッスン希望者あり。ワシは本来、この、それ自体一銭にもならぬ体験レッスンは受け付けぬやうにしてゐるのだが、楽器店からのたっての願い、でまぁしゃあないな、と。「絶対に入会させますから」とのことだが、まぁ任せてみませう。

さういや、こないだブルートゥ〜スを鳴らせるスピーカーを買ったのであった。しーなさんが持ってるやつを見て、づっと「いいな」と思ってゐたが、此度ようやく購入。
「完全防水」とのことで、早速風呂に持ち込む。これにて、18歳で家を出た頃からの積年の願望であった、『風呂で音楽を聴く』といふイベントがついに実現されたのである。良きかな。

7月22日(水)ーーーーーーーーー

曇り。バイトに出んとした頃、雨となる。

このバイト 8月でまる一年になるのだが、今後どうしやうかな?、と思案中。まぁワシが思ふより先にクビになるやもしれんがね・・。

バイトの後、レッスンを終えて帰るごろには大雨の様相となってをり、バスから降りて家まで歩くまでの間にびしゃびしゃになった。傘が役に立たんほどの雨。けふは当初「まぁ雨が降ってもシャワーのつもりで」とチャリで出かける予定にしてゐたが、せんでよかっったわぃ。

7月23日(木/祝)下関 T-Gumboーーーーーーーーー

やや雨。

しーシュ久々の週末遠征。6月頭くらいには『この頃にはだいぶ落ち着いてゐるのでは?』との楽観があったが、そは甘い考へであり、ことは5月半ばより深刻になってしまった。イデア、イズム、様々な葛藤の中で、この近隣への遠征を遂行した。

しーシュでは去年の2月以来、ソロでは6月以来の下関。
こんな時勢なので、お客さんゼロでも仕方ないか、と思ってゐたが、ライヴの体を為すほどには来場あり。みなさんディスタンスを保ちながら楽しんでくれた。

演目:みみづく時計/梅雨の仙人掌/苔の記憶/いらっさい/うねり/すまいる/シェルブールの雨傘/月の流砂/Dance /ぎやまん。アンコール:島唄(with ストライダー)。

OAを演ってくれたのはモヒカン・シンガーソングライターのストライダー
彼はもともとエストレアといふ琉球ポップスのデュオをやってをり、数年前の北九州ツアーでやはりOAを演ってくれた。んで、その後ワシがソロで下関に行った折、一人でOAを務めてくれ「あ、あの時の・・」と、それ以来の付き合いとなる。
近隣のしーシュの遠征には、高頻度で顔を出してくれてをり、この日は宿と晩酌(打ち上げ)までお世話になった。奥様共々、ありがとう!。

7月24日(金/祝)ーーーーーーーーー

前日の予報では「危険を伴う大雨の恐れ」と言ってゐたが、さにあらず。

この辺の大雨、といへば思ひ出すのは、今のワシを作り上げたあのツアー。2002年5月岡山〜長門〜博多〜小倉をThe EGGsの客演で回ったあのドタバタ珍道中。ワシの軽バンに男4人が乗り込み、各地の友人宅を泊まり歩きながらの低予算旅は、その中盤からマジで「危険」なほどの豪雨に見舞われ、滝の中を走ってゐるやうなかんぢだった。博多の「どんたく」が中止になり、なんや知らんその豪雨が、元来「雨男」とされてゐたワシのせい、といふ事になり(笑)・・。

だが、あのツアーの手応えをもとにワシは、当時 進みつつあった東京への拠点移動を撤回し、旅の楽師に身を投じたのであった。今も、「俺のやりたいのは、まさにこれだったのだ!」といふ、あの高揚感を思ひ出す。

あれから18年。その旅を共にした村岡達也と、明日は北九州でランデヴーだ。

7月25日(土)北九州 八幡 デルソルーーーーーーーーー

雨のち晴れ。

上述の村岡達也ことテーさん。彼に招かれて北九州へ足を運ぶやうになり、そこにしーなさんが加わり、波はあれど今もその交流が続く八幡の街。と音楽カフェデルソル。そこに、この騒動の最中 訪ねて行ける幸運を感じる。

下関のT-Gumboもさうであるやうに、ここもマスターご夫妻が、ぢっと時流に耐え、粛々と音楽の場を守っておられる。蛮勇でもなく、軽率でもなく、ただ「あるがまま」に場とお客と演者を守る姿には、感動を覚えた。ありがとうございます。

テーさんはこのところ、カナダで活動中の息子Jonaとのコラボ作品が全米のヒットチャートに載るほどの勢いで気を吐いてゐる。ワシも久々に見るソロのテーさんのライヴである。相変わらずの色気と枯れ、哀愁と拒絶。奇を衒わないギター一本の弾き語りが、ぐいぐいと心を惹きつけて行く。いや〜〜やっぱスゴいなぁ。

ラストで「一緒に演らんか?」と声をかけてくれ、くだんのJonaとの楽曲「Shoes」を二人で演る(のちにもぅ一回しーシュとも演った)。この歌を最初に演ってた頃には、岩本貢といふ、稀有なギタリストも一緒だったのだ。彼は星になった。そしてテーさんが北九州に来て、デルソルを紹介してくれた。ここも もとは折尾にあったのがこの八幡に移った。
わずかな歳月の中で、あまりに多くの物事が移り変わった。

けふの演目:Dance /亀の庭/苔の記憶/ごっとりさん/此岸之朱/遠い街/ジェラシィ/紫の狐/旅ゆきて。アンコール:Shoes、生活の柄(with 村岡達也)

けふも良いライヴだった。
コロナ以降、ウチはなにか安定して良き音が紡げてゐる、といふ気がする。コロナ、悪いことばかりではない。

 

7月26日(日)ーーーーーーーーー

本来ならばけふは萩でもぅ一本演って、月曜日に帰る予定であった。
が、残念ながらライヴが中止となり、最終日が消えた。ので、けふを1日かけて広島へ帰る。

その前にテーさんと一緒に昼飯。
しーシュの音楽性を絶賛してくれるテーさん。テーさんのShoes・プロジェクトもこの先うまく行くといいね、と思ふ。再会を固く誓い合って、けふのところはワシらは広島へ。

良きプチツアーであった。