週変わりのシュウ
9月26日〜30日
嵐が去った後で
9月26日(日)ーーーーーーーーー
しーシュのリハ。新曲を中心として。
こないだの夜市でお披露目した「葬園」について『ジブリっぽい』といふ声が多かった。確かにトニック・マイナーのメロディをVIメヂャー・セブンスに載せたりするんはいかにも久石譲氏の使いさうなかんぢだが、それよりも「ラララ」といふのがいかんのではないか?と。
ので「ヤヤヤ」とか「リリリ」とか、その組み合わせとかを採用す。
「ラララ」と云へば、ヴォイストレーナーの資格試験を受けた時、楽譜を初見で歌え、といふテストがあり、「音名で歌え」と云はれたのだが、「どこの世界に歌をドレミで歌うヤツが居るか」と云ひ、ラララで歌った、といふ傲慢な新人であった。
私はいまだに音名で歌うのは苦手である。
9月27日(月)ーーーーーーーーー
愛機「ヴァネッサ」に新しい弦を張る。
プレッシャー・ワウンドと言って、ラウンドとフラットの中間、といふことで「ちょうど良い死に加減の音」とのレビュウを見て購入。しかして張ってみると、どこが「死に加減」なのか ギランギランのブリブリではないか?。思はず間違えて買ったのか?とパッケージを見直したほど。これで「良い死に加減」といふならば、貴殿らの「死んでない弦」てのぁ、どこまでギラギラなのだ?!と云ひたい。
しかもこの弦、なにやらやたらとテンション(張力)がキツく、左手にかなりの力を要求しやがる。ウッドベースもかくや、と思ふほどのテンションで、1時間練習すると疲れる。あんまり良くないねぇ・・・。
弾き分ける楽器や、弦に悩む時期、てのはあって、だいたいは元の鞘に収まる形で落ち着くのだが、この時期はなくてもよろしい、と思ふ。私にはまだ迷いが多すぎる。修行が足らん。
9月28日(火)ーーーーーーーーー
珍しく火曜日バイト。忙しく社会に従事す。
バイトのある日は、起き抜けからダルい事が多く、認めたくはないがやはりストレスなのだらう。けふもなにやら眠りが浅く、明らかに身体が重いままの出勤であった。忙しく働けばそんな事は云ふておれぬ程にはなるのだが、けふはその後五日市まで行ってレッスンもあったので、ホンマに結構疲れた。
良い仕事なのだが、いかんせんキツい労働で、いつまで続けるかなぁ・・てのは悩みどころではある。まぁせっかくここまで来たのだから、もぅ少しは勤めたいとは思ふのだが・・・。
9月29日(水)ーーーーーーーーー
けふも眠りが浅く、変な夢ばっかり見た。泥のやうに眠れる人が羨ましい。皮肉ではなく・・。
けふはレッスンがたくさん。ギター二人、ベース四人。練習してこない生徒に、どうやってモチベーションを持たせるか、が悩む。まぁ本当の事云へば、練習してこない生徒にこちらが気を揉む必要などないのだが、このご時世ひとりひとりが大切なお客さんなので、いちをう真摯に対応する。
昔は、素養のない生徒には容赦なく引導を渡してゐたし、レッスン中に「やる気ないなら帰れ!」といふ事すらあった。それが良かったとは思はぬが、あの、恐れを知らない熱血講師だった頃は懐かしい。
その後はぱんぱかトリオのリハ。カワの字は私に縦ベェを弾いて欲しさうで、ん〜、と思ふ。あれを準備するのはかなりめんどくさいのだが、まぁこのトリオでわざわざ御茶ノ水まで買いに行ったのだし、いまこのユニット以外であれを使う機会もないし、で、まぁ、使ってみるか、といふ気になってきた。
どーせなら全曲この縦ベェで弾かんとす。
9月30日(木)ーーーーーーーーー
レッスン一人。バイトも入らず、のんびりディとなった。
日中は「チョイ出し椎修」の最終編集に取り組み、づっとパソコンをいぢる。筋トレもして買い物もす。もちろん合間に練習も。
やることは結構いっぱいあって、仕事がないからヒマか?といふとさうでもない。まぁこの稼業、仕事だと思へば読書だって仕事だし、そのへんいわゆる社会人よりはだいぶユルい。
こないだ、自分が何年インストラクターをやってきたのか?を確認するのに古い日記を探ったのだが、30年前も今とほとんど変わりない暮らしをしてゐたやうだ。あの頃はパソコンもないので、日々何をして過ごしてゐたのだらう?と思ふが、まぁ宅録したり、練習したりしてゐたのだらう。
この時代は、私の人生で唯一の「夜型生活」だったやうで、だいたい朝4時頃に寝て、昼に起きる暮らしだったやうだ。タマにある朝集合の仕事に遅刻してしまった、といふ記述がいくつか見受けられる。当時の同業者には「夕方まで起きない」といふ猛者もゐて、まーぁ良い時代だったな、としみぢみ・・。
当時はレッスンが最大回れば、夕方4時から9時ぐらいまでが我らの「稼ぎ時」であった。そっから飲みに行って明け方帰って昼まで寝て、といふ、まーぁホンマに良い時代だったな、と・・・。