週変わりのシュウ
4月4日〜10日
かもめよ お前に会ったなら
4月4日(月)ーーーーーーーーーー
旅帰りで休みだが雑務あれこれ。
相方(しーなさん)は朝から仕事(演奏)に出てゐる模様。私だけが休むわけには・・。
旅の間に撮った動画を「チョイ出し」用に編集したり。桜前線ツアーだったな、とか思ひながら。
4月5日(火)ーーーーーーーーーー
名古屋でやったギター弾き語りが、思ひのほか良いやうで、さういやホテルの営業がなくなって以降、真面目にこれに取り組んでないな、とも思ひ、またギター弾き語り『吟』のライヴでもやるかなぁ、とフと思ふ。
差し当たっては、ご近所(ホンマに近所)の鉄板焼き屋が『ウチでライヴをやれ』と以前から話をくれてゐるのを、いよいよ具現化するか、と云ふところかね?。もぅナマ声ナマ音で、どこででも演るよ、みたいな活動も。
夜は久しぶり、てかんぢのレッスン。
4月6日(水)ーーーーーーーーーー
朝、姉貴から電話。
ぢつはもぅけっこう前からオフクロはICU(集中治療室)に入ってをり、昏睡が続いてゐた。その入院してゐる病院から、『容態が悪くなってゐるやうなので面会に来られよ』との連絡。
本来、母親がこの状況ならば、私はオヤジの時にさうしたやうに、連日病院に泊まって様子を見届ける、のやうな事をすべきなのだが、なんせコロナ。けふの面会も「お一人様、10分間だけ」といふ条件で許可されたもの。アネキが「あんたが会ってこい」と云ってくれたので、さうする。
そもそも3月頭の東京ツアー、もしかしたら途中で戦線離脱もありうるかも・・・といふ懸念を抱えての旅だった。それがその後もぅ一回、中部〜東海の旅が終わるまで、点滴のみでかうして待ってくれてゐたのだ。昏睡は続いてゐるが、その耳元に、あなたの息子であった事の感謝と誇りをしっかり伝え、手を握ってさよならを伝えた。
そしてその数時間後、また病院から『息を引き取られた』との報せ。
あれはやはり、私を待ってくれてゐたのだ、と思った。最後に私の声を聞き、まぁ云ひたいことは山のやうにあったとは思ふが、それを飲み込み、それなりに満足して逝ったのだと思ひたい。
私の偉大な母が、いま旅立った。
4月7日(木)ーーーーーーーーーー
朝から葬儀場に行き、葬式のあれこれ。
もぅづっと離れて暮らしてゐたし、ICUに入った時点で覚悟はできてゐたので、さほど悲しみはない。生前、本人が言ってゐたやうに、できるだけ簡素に、質素に式を進める事にして相談。葬儀場に偶然アネキの同級生の方が勤めておられ、話がスムースに進行した。
納棺まで見届け、明日の式まではまたお別れ。今夜葬儀場に泊まることも考へたが、まぁそれはせずともよかろう、といふ事になった。といふ事で私はフツーに仕事。明日シフトで入る予定だったバイトだけは休ませて頂くやう手配。夕方には葬儀も終わるだらうから、レッスンもフツーにやるやうにする。
4月8日(金)ーーーーーーーーーー
オフクロをおくる。
享年87。奇しくも、といふかなんといふか、親父と同じ享年だ。日頃ほぼスッピンだった彼女だが、死化粧を施された顔は、見た事がないくらい可憐である。「お父さん(親父)が誰かわからんのぢゃないか?」と残された親族が笑う。たれも泣かない、たれも嘆かない、湿っぽいところのまったく無い、良い葬式だった。
ありがとう、オフクロ。
『みんなさう言ってる』といふ少年時代の私の主張に『みんな、って誰よ?』と問ひ、マジョリティの危険性を教えてくれたのは、紛れもないオフクロだ。まぁ結果として、私がそれを守ったせいでオフクロに楽はさせてやれなかったが、その事には心から感謝し、誇りに思ってゐる。偉大な母だった。
さようなら。またね。
ありがとう。
4月9日(土)ーーーーーーーーーー
各所からお悔やみの文言が届く。ありがとうございます。
先述したやうに、一緒に住んでた訳でも無いので、寂しさはさほど感じないのだが、これから盆正月には「もぅ居ない」と云ふことをかみしめるのだらうな、とは思ふ。昨日アネキとも話したのだが、これで我らはふた親とも居なくなった訳だ。まぁ、寂しいことだよな・・・。
しーシュのリハは、いつも通り元気に。
有事に備えて、ぢつは広島にゐる時は、晩酌を控えてゐたのだが、それも解禁。
4月10日(日)Mayu レコ発ホームライヴーーーーーーーーーー
しーシュがバックを務め、3曲入り作品を発表したマユさんの「レコ発」を、仲間内でやる話になり、どーせならバーベQとかもしながらのパーティーにしやう、となった、のがけふ。
暑いぐらいの陽気の中、ピザ窯に火が入り、ダッヂオーヴンが燻る。それを進行させながらのライヴ。しーシュはマユさん全面バックアップと、ゲスト演奏で4〜5曲。レコ発だといふのにCDを忘れてくる、といふカワちゃんのやうな事をして、皆にツッコまれてゐたが、しーシュのバックアップなしでも、ちゃんとギターを弾き語りして、えぇかんぢに演ってゐてよしよし(マユさんは私の生徒でもある)。
ライヴが済んだら、もぅあとは飲んで食って語るだけ。ダッヂオヴンに仕込んだ鶏の丸焼きもうまくでき、ハラも心も満たされた、春の1日であった。みんな太陽がいっぱいになった。終わってほしくない1日だった。
ありがとう。
友よ。