週変わりのシュウ

片道切符は覚悟の上だった

6月1日(水)ーーーーーーーーー

けふからバイト三連勤。あ〜〜。

起き抜けからなんか目眩のやうなかんぢがあり、なんだかネ・・と思ひながら出勤。昼の激忙時に入れば体調の悪さなど云ふておれぬし、厨房に入った以上、休みが許されるのは倒れた時だけなので、まぁけふも頑張って社会に従事した。しんどかった。

こんなにしんどいのは肉が足らんのだ、と思ひ、晩飯にポークのステーキを焼いて喰ふ。バイトでさんざ肉を焼いた後、また肉を焼いて喰ふ。輪廻・・か?。

けふはバイトのみでレッスンなし。それでもまぁ音楽家的に何かせねば、といふ事で、スタヂヲで1時間ほど歌い込み。北海道ツアー中は気にもせなんだのだが、やはり喉の不調は続いてゐる。

6月2日(木)ーーーーーーーーー

朝、メールに北海道は夕張の名士 皆川 祐爾さんが亡くなられた、といふ報せが・・。

古くから北の大地を代表するフォーク・シンガーとして活動され、その穏やかで落ち着いた佇まいから「師匠」と呼ばれ多くの楽師から愛されてゐた方である。

岩見沢のライヴ会場で、私にサプライズの誕生日ケーキを贈呈してくれた皆川さん

我らしーシュも並々ならぬ御恩があり、北海道ツアーのキー・パーソンとして、親しくさせて頂いてゐた。道外からやって来る楽師の中では、とくに我らに目をかけてくれてゐた、と聞いてゐる。

もぅ長く闘病されて、ここ数ヶ月は緩和ケア病棟に入院しておられたので、覚悟はしてゐたが、やはりその喪失感と悲しみは大きい。
ぢつはこないだの北海道ツアーで、会いたいと切望してゐた人の筆頭でもあった。その願いは叶わなかったが、電話で話すことができ、それが師匠との最後の触れ合いとなってしまった。

朴訥とした優しいお人柄と、絶え間ないジョークで、多くの人に愛された、偉大な人であった。道内の友人楽師たちの悲しみは、我らより深く切実であらう。心からご冥福をお祈りしたい。

皆川さん、ありがとうございました。

6月3日(金)ーーーーーーーーー

バイト三連勤最終日。
この三日間、相当の激忙であったが、なんとかやり過ごし、むしろ初日より疲労感は少ない。ひとはかうして過労働に慣れ、身体を壊してゆくのだらうな。

この、私のサイトのテキスト入力がいまいち上手くいかんので、製作者の久保田涼子に連絡を取ったところ、タマタマいま広島にゐる、と云ふので、仕事の合間を縫って会う。喫茶店でパソコンを広げ、どのやうにすれば良いのか訊き、あっさりと解決してくれよった。助かる。が、彼女いはく『進呈した個人サイトをここまでマメに活用してくれてゐる人はそうそう居らず、逆に感謝したいほど』とのことで、まぁよかった。こちとらそれぐらいしか取り柄もないんで・・。

あとは近況とか話し、息災を伝え合う。
初めて会った頃はまだ16歳かなんかで、『生徒の彼女』と云ふビミョ〜な関係だったが、今やその生徒とは完全に疎遠で、りょーことは変わらぬ付き合いが続いてゐる。「東京妻なのでは?」と云はれたり、自分らでも云ったりしたが(笑)、もはやそんな事は飛び越えた友人であり、協力者である。この頃はあんまり東京に行けてないが、変わらず達者で暮らすが良い。

6月4日(土)ーーーーーーーーー

この週末、広島では「とうかさん」と云ふ夏越しの祭りがあり、市内中心部はたいそう賑わう。ここ2年、コロナのせいで祭りそのものが自粛されてゐたが、今年はよぅやく解禁となった模様。一時期は暴走族の祭典と呼ばれるほど荒んだ祭りであったが、ここ数年はむしろ『ケバい浴衣を着たおかしげな若者の祭典』の様相であり、まぁ5月の「花祭典」と並んで、私が近づきたくない催しのひとつ。

どーなんだらうね?、例年ほどの賑わいはなかったのかもしれんが・・・。けふはむしろ緋鯉軍団のデーゲームに参じる人のが多かったのか?。あれも野球に興味のない私には、よく分からん趣向のひとつ。

6月5日(日)ーーーーーーーーー

しーシュの日曜リハ。
てゆーか「チョイ出し」の撮影に半日を費やす。

決して広くないスタヂヲを、セクションごとに模様替えしながら、の撮影&録音は、まぁたいへんだが楽しい。これがしーシュが夫婦だったら片付けやら整理やらに いちいちモメるのかもしれんが(笑)、私は基本このスタヂヲにおいては「客」なので、そこはホレ。

夕方までかかって演奏&トークを撮影。結局リハらしいリハは出来なんだが、演奏には集中できたし、まぁ良からう。今回、私はピヤノも弾いてをります(6/15公開)。