週変わりのシュウ
1月27日〜31日
なにもかも みんないいのかもしれない
1月27日(月)ーーーーーーー
かういふことを書くとアレだが、私はかのレッド・ツェッペリンの良さがあまり分からん人間である。友達にもファンが多いのでアレだが、どうしてもあのヨレた(やうな)リズムが気になるし(ファンには『あれこそ有機的だ』と云ふことらしいが)、まづヴォーカルのプラント閣下の声質があまり好きではないのだ。ペイジ氏の長々としたギター・ソロも苦手だ。
そのことを発端として、ゼップのベース弾きジョン・ポール・ジョーンズの良さも、あまり分からない。ゼップに加入する前にすでに音楽家として充分 成功してゐたにも関わらず、バンドの可能性に賭けて加入した、といふ話は面白いが、まぁゼップの音楽の良さが分からんのだから、そのベースの良さも分からんは当然か・・。フロントの両名の華やかさと、過剰に強靭なドラムスを支える屋台骨、と云ふことでの その存在感のNASAなのだらうが、それもなんか白々しい・・。
ところがこのジョーンジィ、ソロになると俄然面白いのである。トリオ編成でゼップの上をゆく凶悪なヘヴィロックを演ったかと思へば、達者な鍵盤演奏(もとはキーボーディスト)やスティールギターの腕前も見せ、縦横無尽に暴れまくるその音楽性は、ゼップの時は『この人は動いたら死ぬんぢゃないか?』と思はれてゐた「静」のイメージなどどこにもない。
最近のライヴでも、1曲ごとに演奏楽器を変え、ベースはもちろん、ギター、マンドリン、ピヤノ、パイプオルガン、全部ソロでやってのけながら、(何言ってるのか分からんが)ジョーク混じりのMCで観客を笑わせながら、次々と楽曲を演奏してみせてゐる。年老いてなお健在なスゴ腕マルチプレーヤーのヤンチャなオン・ステージ、と云ふかんぢが素晴らしい。
まぁ、ベーシストの彼より、かういふほうが面白い、と思ってしまう私自身のマイノリティこそが、私を私らしい困窮に導いてゐるのだな、と思ひもするが、ひとまづジョーンジィに拍手。
1月28日(火)ーーーーーーー
火曜日の生徒が大量に退会。ますます私を困窮に追い込んでゐる。
これ以上生徒が減ったら、もぅこの会場でのレッスンも進退を考へねばならんだらうなぁ・・・。
そもそも『広島にいないヒト』などと云ふ噂が流布されてゐるやうで、そんな風評が私の教室を危ういものにしてゐるのではないか?。風評被害だ。
確かにいない事の方が多かった時期もあったが、今や旅も減り、週末は家で映画を見て過ごす隠居のやうな暮らしだ。もっと「広島でも教室やってまっせ!!。生徒大募集!!』とかやった方が良いんだらうが、それもまたなんか違う気がして・・・。
1月29日(水)ーーーーーーー
諸事情でしばらく(半月以上)休むバイトの、ひとまづ最後の勤務へ。
私と同い年で、かつて他の飲食店で店長をやってゐた、といふ同僚がおり、彼がゐると職場が明るくなるので嫌いではない。他も割と気が楽なメンバーが揃った日だったので、良き職務を全うできた。彼自身も『あー今日は楽しかったわ』と云ひながら帰っていった(笑)。
仲の良い面子にしばらく来れない旨を伝え、一旦帰宅。夜は寒い教室でレッスン。
1月30日(木)ーーーーーーー
長らく病を患ってゐた身内が逝去。
その通夜を手伝う。
考へてみれば、自分より歳が若い者の葬祭は初めてのことだ。
1月31日(金)ーーーーーーー
葬儀のための壱日。
病の苦しみから解放され、自由になってくれると良い、と心から思ふ。
逝った人のことを生者が思い出す時、天国ではその人の周りに花が咲く、といふ話がある。さうあってほしいと思ふ。そして私は、できるだけ、その人の周りに花を咲かせたい、と思ふ。