週変わりのシュウ
3月2日〜8日
なまずのひげは何を察するか
3月2日(土)--------------
ぱんぱかトリオのリハ。
此処んところ カワちゃんがすごくえぇかんぢである。新曲も良い。
思へば去年の初頭に大ホールでの自主企画を演り、ツアーもさらに重ね、今年から毎満月の夜にワンマンす、といふ企画もやり始め、こないだはウクレレ一本での大ホールコンサートを成功させ、仕事も波に乗り、さらに友人知人関係も増え、心身ともに充実し切ってゐる、といふかんぢ。
カワちゃんにも、調子の悪い時、思ふやうに行かぬ時 はあったハズだ。さういふ「悪い波」の中でも彼はそれを続けて来た、といふところにカワちゃんの意味がある。そは彼がまぎれもない「本物」である証拠なのだ。
気がノってゐる時に活動を活性化させる事なんざ誰にでもできる。世にはさういふミュージシャンの、なんと多いことか!。ワシも含めて。
3月3日(日)---------------
女房と共通の友人がこたび結婚した、といふ知らせを受け、その披露パーティーに出席すべく大阪まで行く。バスで。日帰りで。
荷物も楽器も持たず、ただ遊びにゆくだけの大阪行は久しぶりで、まぁさういふことなら、と大阪に着いてすぐ飲み始める。パーテーはちゃんこ屋(相撲関係者なので)で、美味いちゃんこ鍋に焼酎も進む。
知人のほぼいない会場ではあったが、家族的な雰囲気に包まれ、涙も笑いもあり、よき披露宴であった。末永き幸せが彼らにあらむことを。
さらにその会場がパーカホリックの目と鼻の先であったので、会を終えたあと、女房と友を連れて行き、帰りのバスの出発時間まで、飲む。タケシくんたいへん喜んでくれてよかった。
23時出発のバスに乗れば、あとは寝ておれば広島。夜行バスにも慣れたつもりでおったのだが、今回はなにやら寝れなんだな。うとうとしては目がさめる、といふ繰り返しで
3月4日(月)---------------
広島に着いたのは朝6時。まだ真っ暗である。
眠りも全然足りておらず、帰宅したらそのまま昼まで寝る。その後も休みなのでダラダラして過ごす。
昨日、パーホリでワシらが飲んでるとき、半ば飛び入りで二人の若者が投げ銭ライヴを演っておった。ギターと歌のデュオで、組んでまだひと月も経ってない、との事だったが、なんかギターが嘘ばっかり弾いてゐたな。
最初は「えらい斬新なアレンジやな」と思ったのだが、おそらくマイナー・コードとメジャー・コードの区別がついてない、といふ、けっこう致命的な欠陥を抱えてゐたやうだ。そもそもアイポンの画面でコード見ながら弾くなや、と思ふ。
投げ銭、とは云ってたが、申し訳ないがワシは応援する意味でも、あれに「銭」は与えられぬな。が、友人は気前よく払ってやってゐた。
感謝せぃ若人よ。
3月5日(火)---------------
大阪から帰って来て、けふと明日も仕事が入ってない事に気づく。
収入がないのはアレなのだが、これはまぁさういふ機会なのだらう、と久しぶりに「車中泊ひとり旅」に出てみることに。
近場でのんびり・・といふ手もあったのだが、2年前の「18切符ひとり旅」で、ダイヤの関係上あと100mの位置まで行って引き返さざるを得なかった出雲大社へ行ってみやう、と思ひ立つ。
高速道路を使わず、下道をのんびり。途中で車中泊に必要なあれこれを買い足しながら、中国山地の美しい景色の中を山陰へ向けてひた走る。
あいにくの曇り空だが、晴れてゐれば夕日が・・・てな時間帯に出雲に着。大社も平日の夕方、てことでガラガラ。前に来た時はもぅ新宿や渋谷もかくや、といふほど人が多かったので、やや拍子抜け。ゆっくり見て回るにはちょうど良い。
これが350年前からここにあったのか、と思ふとなかなかスゴい。愛想のカケラもない巫女からお守りを買い、そこそこ満足して大社を去る。さて、宿だ。
世には「車中泊ネットワーク」なるものがあり、全国各地で合法的かつ利便よく車で寝泊まりできるマップなんぞが流布されてゐたりする。けふの逗留地はそこで紹介されてゐた「道の駅:湯の川」。
そんなに広くはないが静かさうな駐車場に車を停めてビバークを開始。持ち込んだ食材を調理して、ささやかにひとり宴会。見れば他にも2台ほど、逗留を決め込んでゐるらしき車がある。隣は何をする人ぞ・・・・。
この車中泊旅の目的の一つとして、なかなか完成に至らぬ新曲を、とりあへず仕上げたい、といふのもあり、今回ベースを持ち込んで来た。つらつら弾いて歌って食って飲んで・・・で夜は更ける。
3月6日(水)---------------
夜は意外なほど冷え込んだ。
古い寝袋ひとつでは寒かった。途中からダウンを着て寝てちょうど良いかんぢ。それでも7時までは寝てゐたやうで、ワシが起きた時には残り二つの宿泊車が出発準備を始めてゐる頃だった。
彼らは一晩、何をして過ごしたのだらうか?。
松江にでも行ってみやうかな、とも思ったが、雨模様にて、まぁ帰るか、と。着た時のルートとは違う道を選び、それでもやはり美しい風景を見ながら広島へ、と。
良い旅だったが、自宅まであと数m、のところでちょっとした事故を起こしてしまい、ケーサツに行き、せっかくアガった気分もサガり切る。
3月7日(木)----------------
事故で気分がサガったところに追い討ちをかけるやうに、複数件からさらにトラブルが持ち込まれ、なぜワシはかういふ星の元に生まれついたか、をしみぢみ考える。
いいかげんに生きてきた事へのバチなのだ、と思ふと、少しは気が軽くなる。バチが当たったのなら仕方ない、と捉えれば、損な役回りもそれなりに意味があるやうに思へるのだ。
レッスンが多く入ってゐる事が救い。忙しく立ち回れば、少なくともその間は小難しい問題を忘れてゐられる。
3月8日(金)---------------
気がかりな事が多い中で、平成が終わる、といふことを、フと考へた。
思へばワシにとっての「平成」とは、自分が音楽で身を立てる、と云ふ事を実践し続けて来た30年だった。
内閣官房長官が慣れぬ様子で「平成」と書かれた色紙を掲げたあのとき。梶山シュウ23歳。最初の仕事を辞めてすぐだった。まだ未来はたっぷりと残ってをり、まだまだ不安よりは希望の方が多かった。
ところどころを、昨日の事のやうに憶えてゐる。ライヴハウスの楽屋。スタヂヲに貼ってあったポスター。週に3回やってゐたリハの風景。見た映画。行った街。会った人々。交わした会話。語った夢。飲んだ酒。そして明らかに、自分たちに酔ってゐたワシら・・・・。
そして気づけば、次々と移り変わって行く時流に、まったく乗り切れてない自分がゐる。