週変わりのシュウ

放蕩息子の法等

6月29日(土)

タルちゃんことTal wilkenfeldのソロ・アルバム「Love remains」が届いたのを聴く。以前にも書いたが、全編唄ものの作品で、世間からはわりとスルーされてしまってゐる感強し。
ジェフ・ベックんところでデヴーして、その見事なテクニックとあどけない美貌、とベースに乗っかるおぱいで話題になり、世界が新世代のベーシスト登場!と色めき立ったが、たぶん本人はそげなコトより唄ものが演りたかった・・・てゆーか、歌が唄いたかったんだらうな、と・・・。


ので、このアルバムも全曲本人のオリジナルで、本人の歌唱による。
ものすごく上手い歌ではないけど、容貌からは意外な野太い声でけっこうなシャウトまでしてゐて、「歌ってみました」的なものよりも、やはり長らくこれが演りたかったのよ的な思ひきりの良さがある。
んで、曲が良い。
なんか独特なモード感があって、この娘が単にベースが上手いだけのミュージシャンではない事を充分に感じさせ、最後まで集中して聴きこめた。

ワシはむしろこの人のこの路線の作品を待ってゐたやうな所があり、たいへん気に入った。・・が、まぁ世間的に考へるとやはり微妙なニッチにあるアルバムではあらう。たれがこれを聴くのか・・を考へると、やはりベーシストを中心とした購買層だらうし、ベックんところで弾いてたやうなものを期待すると全然違うし、なにより音源には、あのビジュアルは望めぬし・・・。

アーティストとオーディエンスの関係は、いつもだぃたぃは微妙なのである。

6月30日(日)

法事に出席す。
親父の兄弟、にあたる人・・なのかな?。ワシは40代まで親戚づきあいをほとんどして来なかったので、正直 親等の詳細を理解してない。さすがに50代になってまでそれではマズからうし、親父の逝去にあたって葬儀のあれこれを手伝った事もあり、ここんところ一族の法事に顔を出す機会が増えたのだ。
・・が、実際は三親等以降の親戚なんぞ、数年に一度の付き合いもある訳がなく、ましてやその家族や系譜、となると外国に来たも同然の未知であり、正直 見覚えのある顔は2〜3人しか居らなんだ。
まァしかし、これが多分順番に近々「法事の主役」になるのは間違いないわけで、親族といふはまことに「業」なものである。

乳飲み子を抱いた若い夫婦などもゐたが、実直で堅実な家系ゆえに 見た目も含めたいへん小市民的な人々であり、喪服の中年でモヒカンにピアスもの、といふワシの姿は極めて異様であった。

7月1日(月)

朝、駐車場で子猫が死んでゐた。
この界隈を根城にする野良の集団の、最近生まれた仔らしい。

同じアパートに住むおばさんが、なんとか避妊&不妊手術を受けさせんとして何匹かは頑張ったらしいのだが、その前に増えてしまい、手が回ってないと聞く。世代交代が進み 容易に人に懐かなくなってしまってをり、下手に捕まえやうとすると危険でもある。

死因はわからぬが、どうやらこの一夜あたりで死んだやうだ。
仲間の猫たちが周囲を取り巻き、ワシが近づいても逃げて良いかどぅなのか戸惑ってゐるかんぢ。すでにハエや蟻が集り、時期的にも腐敗は時間の問題のやうだ。
ワシは昔からなぜかこの役回りを受けることが多く、少年時代から何匹もの動物を弔ってきた。車に轢かれてぐぢゃぐぢゃになってゐるものは無理だが、原型をとどめて死んでゐるものは見過ごせず、せめて土のある場所へ・・と思って行動してしまうのだ。
今回もさうしてやる。
幸い、今回は家のすぐ前だし、埋めてやれる場所もある。抱くとすでに死後硬直も取れ、ぐんにゃりしてゐた。通勤の人たちの好奇の目はあったが、葬儀の参列と思へ、と(笑)。

成仏せぃよ。土に還って、輪廻を巡るがいい。

7月2日(火)

ジョン・クラカワーの傑作ノンフィクション「荒野へ」を映画化した「In to the Wild」を観る。これぢつは壱週間前に原作を読み終わったところで、絶妙なタイミングでDVDが来たので、こは典型的に「読んでから観る」の流れとなったのは良い。

まぁザっと云へば、クリス・マッキャンドレスなる裕福な家庭(問題はあったが)の善良な青年が、ある日全てのキャリアと財産を捨て、アラスカの荒野へと旅立ち、そのまま帰らぬ人となった、といふ事件を紐解いたドキュメンタリィ。
健全な男子なら人生で必ず一度は抱く放浪への憧れを、己の限界を超えて実行してしまった、まぁ云はば無鉄砲で軽率な行動の顛末、の記録である。
原作は丁寧で地道な取材による見事なルポルタージュ作品であったが、映画の方も主人公の思ひを公正な目線で捉え、アメリカの原風景やアラスカの雄大な自然を美しく撮った、見事な出来栄えであった。

原作では「あくまでも仮定」として書かれてゐた主人公の死因を、毒のある植物を間違って摂取してしまった事による衰弱死、と描いてゐる点に、監督の愛を感じる。

に、しても、物語の舞台となった1990年代初頭のアメリカに、まだこんなヒッピー文化が残ってゐたのか?(もしや今も?)といふ事に驚かされる。こんな暮らしが本当に可能ならば、アメリカに住むのも悪くないな、と思ってしまった。
このヒッピーのコミュニティの中に、原作には登場しないシンガーソングライターの少女がゐるのだが、これがたいへんカワイイ。アングロ・サクソン系の女性の顔立ちが苦手なワシであるが、この娘ならば是非お持ち帰りしたい。終始、ホットパンツから美脚を曝け出してゐるのも素晴らしい。

クリステン・スチュワート、といふ女優らしく、やはりヒッピー映画「On the Road」に出てゐたやうで、たしかその時も「おぉこの女優Goood!」と思ったのであった。

7月3日(水)

博多の朋友デュオ サウンドスケッチの二人・・・久米博之亀山みゆきご両名が、来週から始まるしーシュとのカップリング・ツアーのリハの為に、わざわざ広島まで出向いて来てくれた。
壱日たっぷり時間をとってのリハも楽しや。

日頃からデュオとして基盤を作り、リハーサルもマメに重ねてゐるウチと比ぶれば、サウスケは日頃は別々に活動しておられるやうで、そこをまぁコラボ巧者の我らがうまくまとめる、といふ形にすると、良い流れとなる。日頃一緒に演ってない4人のグルーヴを共通に自覚させるために、割と厳しく指示を出すワシ。打楽器がおらんのだから、そこをちゃんとやんないとネー。でも、なんかワシがカホンがジェンベか演った方が良いんぢゃないか?といふ気もした。

リハ後はまぁ当然「宴会」に。
一昨年、初めてこの4人が広島で顔を合わせ、やはりリハの為に壱日を取ったのだが、あの時の「宴会」もたいへんな騒ぎとなり、最後らへんはもぅただの騒々しい中年酔っ払い集団に成り果ててしまってゐた。
今回はさうならぬやうに気をつけてゐたが、まぁ酒量は当然いつもより多め。お好み焼きや瀬戸内の名物なんぞをツマミながら、けふもまぁよぅ飲みました。

来週からのツアーが楽しみだ。

7月4日(木)

次のソロアルバムを出さないんですか?

といふ事をこの頃タマに云はれる。拙作「ゆほびか」の在庫が、あと7枚になった、といふ事もあり、曲も溜まってるし、まぁ作ってもいいのかな?とか思ったりもす。
しかしながら、「ゆほびか」を作ったのは2008年のことで、発表から11年経ってまだ完売してない、といふ事実はけっこう重い。そしてぢつはその前に作った「きねつき」に至ってはまだ箱も開けてない在庫が押入れに眠ってゐたりする(バンドで売る事を想定して作ったので数量が多い)のだ。
こんな状態で新作を作ったとてなんになるのだ?との思ひが強く、ファンの方の声に応えられぬのが残念。

そして、なんツっても今のワシは「しーなとシュウのシュウ」であり、コンポーザーとして、リーダーとして、しーシュの作品を売って行かねばならん訳で(こちらは順調に売れてゐる)、その板挟みもあってはっぱふみふみ・・。

まぁしかしヒマなので自分でMTRをいぢって・・・みたいな事ならばやってみても・・・、みたいに久しぶりにイゴイゴやってみた。まぁ録ってる時は楽しいんだが、仕上がりを聴くに、ん〜〜〜〜〜 ・・・これを売るのもネー、とか思って、またぢっと手を見る

7月5日(金)

ぱんぱかトリオでラヂヲに生出演す。

音楽のゲスト、て云ふより、ゲストが所望する音楽、といふニッチでの出演。広い人脈と深い人望を持つカワちゃんならではの・・・、といふ気がする。ちょーどぱんぱかトリオのリハが入ってゐたので、ツイデに3人で、といふことらしい。
深夜の生放送で、CMの間にいそいそと楽器と機材持って入り、フツーのトークマイクの前で演奏。

まぁ、なかなかオモロかった。
3人ともそれぞれ番組を持ってゐた位なので、ラヂヲはお手のもん。それぞれの楽器の音量を考へた配置に、自分らがちゃっちゃと着く、などディレクターが感心するくらいだった(笑)。生放送なんで自分らでは聞けんのだが、まぁ良かったのではなからうか?。

番組そのものも、昨今のハイテンションのパーソナリティが、カン高い声でゲストを巻き込んで喋りまくる、のと違い、落ち着いたトーンの女性が静かに話を聞き出す、といふかんぢで、ゲストを丁寧に扱う姿勢に好感大。ワシらがゲストで出たいな、と思ふ(笑)。

ただまぁ、深夜枠なので、終わった頃は眠いねむい・・・。