週変わりのシュウ

ハートに火をつけて

11月28日(土)薬研堀夜市 第22回ーーーーーーーーー

コロナ禍にも怯むことなく続けて来た隔月定例会「夜市」。これも22回目、2020年最後の一回、となる。

コロナの影響まだ喧しく、どころか一時期よりさらに微妙なかんぢとなり、会場や配信の告知への反応も薄く、こらぁ厳しいかんぢかな、と思ってゐた。そして事実、動員は過去最低を記録してしまった。

だが、お客さんが入らんかったらやめる、とかそんな事ではない。ひとりでも会場に足を運び、ひとりでも配信を見てくれる人がゐるならば、続けやう。

それよりも心痛むのは、配信への「只見」が急増した事だった。
初期に比べ、閲覧数が頭打ちになることは仕方のない事だと思ふ。ライヴ配信の数も増え、それに応じてトラブルも増え、これらに及び腰になるのは理解できる。ただ、生配信中100人行くか行かないかだった閲覧数が、その後3日間で400を超えたにも関わらず、それらへの課金がほとんど無かった。当たり前のやうに、タダで見て行った人が300人近くゐた、といふ事だ。

しーシュが、「タダでライヴを見れる」といふ悪しき前例を作る訳にはいかない。
来年から、このシステム自体を見直す必要がある。1年間 頑張って来て、その結果がこのやうな事例しか残さなかった、のであらば、ちゃんと課金してライヴを見てくれた、心ある人たちへの侮辱にさえなりうる。

少しほろ苦い、今年最後の「夜市」であった。パフォーマンスが総じて良かっただけに、そこは残念。

11月29日(日)ーーーーーーーーー

晴れ。ライヴ翌日で休み。

黒瀬は「串小屋」まで車を走らせ、ここ数ヶ月にお願いしたメンテや改造やらの仕上げに。配線のクリーナー、ボデーのカット、フレットレス化、など多岐にわたるが、他のどこにもこのやうな「変態な改造」を請け負ってくれるところはなく、いつも感謝の串小屋、尾窪店長である。

行き帰りで2時間くらいかかる。途中スーパーに寄って買い物などしたりしながら、まぁ休日のドライヴだ。

11月30日(月)ーーーーーーーーー

11月最後の日はバイト。晴れ。

けふはバイトの後、あんまり休む間も無く4人連続のレッスン。1日に4人レッスンが入りゃバイトせずに食って行けるんだが・・・と云ってやむなくバイトを始めたのだが、ここんところバイトの後にけっこうなレッスンが入る事が多く、はっぱふみふみ・・。
しかしまぁ、仕事があるのはありがたい事で。

12月1日(火)ーーーーーーーーー

ついにしはすとなった。今年も残すところあとひと月。

コロナのせいでなにも成し得てない気もするが、意外に充実した年だったやうにも思へる。そはなにも変わらなかった、といふ事の同義だったりもするのだが・・・。

このところ車の中では、ロッド・スチュアートの「アメリカン・グレイテスト・ヒッツ」を流してゐる。ロッドが例の嗄れ声でアメリカのスタンダードを歌い上げる音源。極端なフェイクをしない素直な歌唱は、自分がスタンダードを歌う時 たいへん参考にもなるし、曲の素晴らしさが際立つ。・・・が、まぁ、古くから愛され、歌い継がれた曲、といふはある種のパタンから大きく逸脱してない、といふ事で、全部おんなじやうなかんぢの曲、ではある(笑)。

12月2日(水)ーーーーーーーーー

今週2本目のバイト。

朝から何やら疲れてをり、出勤前に血尾美他を一気飲みして臨むが、どーにもダルい。眠い。同僚からも「眠そうなね」などと云はれる始末。まー、お昼時になればそげな事は云っとられん状況にはなるので、かういふ仕事は悪くはない。しかしけふはなんやお客が途切れず、勤務時間内ギリギリまでなにがしか作業してゐた、といふかんぢ。いつもは少しぐらい息つく暇があるもんなのだが・・・。へ〜〜疲れた・・。

で、けふはレッスンまでの空き時間が長いので、一旦帰宅し、また出かけることにしてゐた。市内まで往復1時間のチャリが2回。バイトで疲れた上に、これはまぁしんどかったが、頑張った。

レッスンで生徒とばーばー喋ってコミニュケーションを取ると、まぁ疲れも忘れるので、そこはまぁいいや・・。

12月3日(木)ーーーーーーーーー

晴れ。
しーシュの朝リハ。明日、数百年ぶりの「営業」が入ったので・・。
*パーティーや式典、イベントなどに音楽のゲストとして呼ばれ演奏する事を、我らの業界では「営業」と呼ぶ。Cshupediaより

我ら地方都市の職業楽師にとって、この「営業」といふは、ありがたい収入源であり、これのあるなしで潤いは全然違う。もちろん、「芸術的」な仕事では決してない。人によっては、この仕事を蛇蝎のごとく嫌うものもゐる。
それも理解できる。
下手をすれば全く相手にされない状況下で、持ち時間をこなさねばならない。繊細なハートを鉄ブラシで擦られるやうな経験となることもありうる。さらに云へば、これに慣れてしまい、鉄ブラシどころか、釘で打たれても意にも介さぬ、血の通わぬ音楽家となってしまふ危険な可能性も否定できない。

我らは「どうせ演るなら自分らが楽しもう」といふ気概でこの仕事を受ける。対象の年齢層や性別、趣味や嗜好をリサーチし、好みに合いさうなラインナップで構成し、現場でさらに改良を加える。
どのやうな状況も楽しむことはできる。そは、コロナに襲われたこの数カ月で実証できたのだ。

12月4日(金)ーーーーーーーーー

晴れ。
しーシュ「営業形態」で竹原市へ。

竹原市は、広島市から東へ車で約2時間。古くから瀬戸内の海洋交通の要衝として発展した町である。いわゆる「ディープ瀬戸内」の典型の街。いちをう「安芸の小京都」と云はれてゐるらしいが・・・。

けふの雇用主は造船業界の方々。なんでも新艦の進水記念パーテーらしく、出席者はその世界の重鎮の方々で、溶接焼けした屈強な中年紳士ばかりが30名ほど。女性は一人も居らん。どーも聞いてきたかんぢと違うやうなので、改めて選曲をし直し、ふる〜〜い歌を持って来たりした。

んで、まぁ会自体が押しまくり、ワシらの出番も二転三転して遅くなったりして、ワシらが出る頃にはみなさんだいぶ出来上がっておられた(笑)。ひとりキャメラを片手にづーっと踊ってらっさる紳士が居り、けふはこの人を見ながら歌った。
昨日の記述にある通り、演るからにはワシらも楽しんだ。さっさと演って帰った、といふかんぢではあったが(笑)、良き役割を果たせたなら良い。

「安芸の小京都」として旧町並保存地区もある、いちをう観光地で知られる竹原市だが、正直 けふ会場の外で見かけた人は、昼に駅で見かけた女子高生が二人と、仕事終わりに通りがかった駐車場でタバコを吸ってるタクシーの運ちゃん、の3人だけであった。ぬ〜〜〜〜。

終わった時間が早かったので、一足飛びで広島に帰り、「チョイ出し椎修」の収録を。明日から山陽小野田市から歌うたいの「さくぞう」がやって来て、二日間の合宿レコーディングに入る。音楽家らしい週末となる。