週変わりのシュウ

荒野に我 慟哭す

12月5日(土)ーーーーーーーーーー

晴れ。
山口県は山陽小野田市より、歌うたい「さくぞう」来たる。

この男 「失恋ソングの帝王」と称され、宇部や小野田で何度か共演してゐて、ホンマに良い歌を作り歌う。その歌と人柄に好感を持ち、付き合いの続くうちに「人生初のレコーディングを」といふ運びとなり、それをしーシュで請ける事になった。

自分のためにたっぷりと時間が割ける若いプロ志願者、ではなく、サクちゃんの場合、日頃は生業を持ってゐるホンマに純粋なアマチュアの歌うたいなので、許される時間は週末の二日間のみ。この二日でアレンジを含め、演奏、歌唱、ダビングすべてをやらねばならん。事前にデータを送ってもらひ、軽めにアレンジしておいたものを、3人で実際に演奏しながら煮詰めて行くのは楽しい。

ワシが前から着目してゐたのは彼の書く歌詞で、たいへん雅な言葉をぢつにうまくマイナー調の曲に載せ、韻の踏み方もうまい。かなりの読書家のやうで、その辺でも話が合うのだ。アレンジもその辺を生かしながら・・・。

お昼にさくぞうが広島に到着。そっからスタヂヲ入りして、夕方までかけてだいたいのアレンジが決まった。あとはまぁ、当然『前打ち上げ』としての宴会に(笑)。
やはり宇部の「弟分」小田よぅねんが遊びに来た時に連れてった小料理屋でもてなす。

12月6日(日)ーーーーーーーーーー

さくぞうレコーディング計画、二日目にして最終日。

昼前に本格的にスタヂヲに入り、昨日アレンジしたのを元に、実際に録音して行く。ワシとしーなさんは日頃やってるやうな事を演れば良いのだが、サクちゃんはなんせ初めての経験。どんなかんぢになるやろか?と懸念してゐたが、これがなかなか・・。

慣れない状況だらうに、徐々にコツを掴んでいき、歌やギターに対してのちょっとしたアドヴァイスも柔軟に飲み込んでこなして行く姿には感心。テイクを重ねるうちに喉もどんどん調子良くなっていき、おまけに、多分かなり耳が良いのだらう、ワシらが演奏でほんのちょっとモタついてゐるところも指摘して、それに対応する。へ〜、大したもんだ。プロを名乗ってゐて、それができない歌い手もいっぱい知ってゐるぞ。

思った以上に調子良く進み、日が暮れる頃に、3曲のさくぞうオリジナルが完成した。たいへん似通ってゐた二つの曲を、アレンジで全く違うかんぢに仕上げれたのは、しーシュの功績、として欲しい(笑)。楽しいレコーディングだった。サクちゃん、お疲れ様。

生業を持つ身としては、まぁけふ中に小野田に帰らんければ、と言ふことで新幹線で帰って行くさくぞう。音源がどーいふ形で作品になるのかは彼次第だが、この二日間が、彼にとって有意義であったことを祈ってゐる。

ワシらも楽しかった。

 

 

12月7日(月)ーーーーーーーーーー

バイトを希望したが入らず、レッスンのみ。
他は色々と雑務をこなす壱日とす。

レッスンもけっこう早い時間に終わり、早く帰宅す。すると他にも帰宅びとが多く、これらの多くがワシと同じくチャリなのだが、これがまたチャリの性能が良いのか、それとも単にさういふ病なのか、車なみに飛ばすので恐ろしい。

特に電動アシスト付きのチャリに乗ってゐる女性なぞ、目視確認も行わずチャリの性能のみでいきなり加速発進してくるので手に負えぬ。怖や恐や・・。

12月8日(火)ーーーーーーーーーー

芸北オークガーデン管理棟室長であり、我らしーシュを芸北地方のコミュニティへ繋げてくれた恩人、でもある小松義則さんが亡くなられた、との知らせ。

夏に皆で行く予定だったイベントを、体調不良を理由に辞退されて以降 音沙汰がなく、気にかけてはゐたのだが、何度か入退院を繰り返した挙句の、事であったさうだ。またみんなで元気に気兼ねなく集い、大酒飲んで歌って、を心から願ってゐたが・・・。

時勢が時勢だけに葬儀や通夜に参列もできず、きちんとしたお別れが出来ないのは、なんとも悔やしい。小松さん、どうか安らかに・・。

ワシら、自身ですら若者ではない上に、友人知人 ワシらより年上の人が多い。順当に行けば彼らの方から世を去って行くのは自然の摂理と云へるのだが、信頼してゐた年長者が鬼籍に入って行くのは、やはり悲しく、切ない。

12月9日(水)ーーーーーーーーーー

小松さんの訃報を受け、いつぞやも年末に訃報が相次いだ歳があったな、と調べてみたら、そはちょうど10年前のことであった。

この年の12月も後半に差し掛かる頃、ワシらが長年連れ添ったペットのイグアナ「うさぎ」の死を筆頭に、友人の奥方や家族が旅立たれ、たしか10日間の間に3回、葬儀に出席したのだ。「こんな事はなくて良い」とあの時 思った。

45歳だったワシは、心身ともに色々なトラブルを抱え込んではゐたが、ライヴや仕事も充実し、仲間にも恵まれ、良き日々を生きてゐたと思ふ。そして訃報が続く年末を超えた翌年の春、あの東日本大震災が起こった。

あれから10年が過ぎたのだ。

12月10日(木)ーーーーーーーーーー

くもり。寒い。

この週末に入ってゐた密やかなライヴが中止となった。企画が発生したのが秋ぐらいだったので、その頃には「年末なら・・・」と考へてゐたのだが・・やはり、ね。
ギターとベース半々ぐらい弾き分けて歌うたいをサポートするライヴだって、結構楽しみにしてゐたんだが、まぁ仕方ないやね。

ちょいと読んでない本が溜まってきたので、本の虫にでもなるか、といふ気はしてゐる。だがネー、このところ目の疲れが・・・。

12月11日(金)ーーーーーーーーーー

よく晴れ。

バイトへ。バイト先までの繁華街が、なにやら「浮かれ系のピープル」で色めいてゐたのでもしや、と思ったら案の定、昼を待たずしてテンテコ舞いの激忙となった。なんぢゃこりゃ?と思ふほどの・・・。
しかし昼を過ぎるとパタっと人が途絶え、ん〜〜〜〜〜、よぅ分からんね。まぁ飲食は何かにつけ「読めない」仕事なのだ、と・・。

夜は本来、もぅ数年恒例で演らせて頂いてゐた、広島逓信病院クリスマス・コンサートが中止となった旨の残念会、に招待を受ける。

2014年以来づーっと、しーシュ12月の最初の営業はこれだった。ついに連載記録が途切れた、てかんぢ。さらにはけふ広島市内の罹患者がついに三桁を超えたとかで、さらに今後の活動が厳しくなってくる事は必至。かえすがえすも、よぅもまぁここまで要らんモノをバラ撒いてくれたものよ、と思ふ。